知求塾

ご卒業、おめでとうございます(知求塾からささやかな祝辞を)

2019年3月1日 | chikyujyuku

こんにちは、知求塾の坂口です。

 

本日は、高校の卒業式ですね。すぐ後には、中学の卒業式も迫っています。

 

ご卒業、おめでとうございます。

 

知求塾からも、新しい舞台に進む若者たちに、ささやかな祝辞をおくります。

 

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卒業される皆さん、新しいフィールドへようこそ。

 

大学生・専門学生になる人、高校生、社会人になる人、それぞれほぼ進路は決まっていると思います。おめでとうございます。

 

ところで、学校生活のなかで、ふと、「勉強をして何の意味があるのか」という疑問を抱いたことがあったかと思います。こんなことをしていてよいのだろうか、と。特に苦手科目を学ぶときにそういう気持ちになったかもしれません。

 

私なりの答えを言うと、勉強はある程度(程度は人によります)できなければならないけど、完璧じゃなくていい。もちろん苦手はあってもいいし、ちんぷんかんぷんのことがあってもいい。

 

そして、勉強でなくてもよいけど、かなり一生懸命に取り組んでいることがあれば、それでもいい、と思ってます。サッカーでも空手でも、音楽活動でもK-POPでも、それでいいと思っています。

 

ただし、ひとつ条件があります。勉強の代わりに何か別のことを頑張っていくとするのであれば、「僕は(私は)、この活動を通じて、人間的【成熟】に近づいているか?」と問うことです。成熟、であって、成長、ではないことに注意してください。

 

成熟という言葉の意味は簡単ではありませんが、ここでは「思いやりの深い、優しく、逞しい人間」ということです。

 

時々、「僕はオンラインゲームを頑張っているんで、勉強の代わりにします」とか、「早く高校に上がってバイトしてかわいい服を買ってお化粧して…(略)」という子がいますが、勉強の代わりにこれらの活動で、人間的【成熟】に近づけるか、考えてみてください。

 

僕はかなり難しいと思います(できないとは思いませんが、かなり難しいです)。

 

大人になると、学校のような勉強はまずしません。勉強の内容も、ほとんど全部忘れています。皆さんの保護者様を見れば、それは明らかです(笑)。ほとんど忘れてしまう。

 

しかし、「~だから学校の勉強は無駄である、意味ない」と結論付けるのはあまりに短慮というものです。

 

すべてきれいさっぱり記憶喪失のように消えるわけではないからです。ほとんどは消えるけど、いくつかのことは残る。そして、その、「残ったこと」は人生全体を通じて、各々の人生を照らす羅針盤のようなものになるからです。

 

たぶん、人生を生きていくにあたって、本当に大切なこと・身に染みて覚えなくてはならないことは両手で足ります。しかも、幼稚園児の時に大半を習います。

 

たとえば、

①順番は並びましょう(ルール順守)

②手は洗いましょう(衛生観念)

③あいさつしましょう(コミュニケーション能力)

④ご免なさいといいましょう(コミュニケーション能力)

⑤仲間に入れてほしいときは自分から言いましょう(ルール遵守)

⑥食べ物は大事にしましょう(農家や運送業、調理人への感謝)

⑦嘘はつかない(倫理の育成)

⑧友達・仲間は大事に!(信義の観念)

⑨暴力は振るわない(暴力の否定)

⑩ずるもしない(倫理の育成)。

 

でも、これらのことをきちんと守れている、しっかりやれているという人が、何人いるか、わたしは疑問です。人間は多かれ少なかれ、完璧ではないのです。

 

「思いやりの深い、優しく、逞しい人間」になるにあたって、一番手っ取り早いのが「学習すること」だと思います・思いやりのある人間であることを実践するのには「知識技術」がいるからです。

 

たとえば、先ほどの幼稚園の話ですと、思いやりのある先生でも、「知識技術が空っぽ」であったら、園児の健康面の異常には気づきません。心理的な変化や特徴にも気づかない。安全面への配慮ができないかもしれません。

 

そういうことがないように、園児の先生になりたかったらそれなりの教養と知識が必要ですし、それを使いこなす「人間的度量」もなければなりません。それらを身に着けることも、先人から受け継いできた「知」と「技」を次世代につなげていく、そういう必要もあると思います。

 

現代社会は高度な知識社会です。近代化以前の社会では、生まれた赤ちゃんの40%が大人になることなく死んでいました(今は5%以下です)。たとえ大人になっても、家庭内の暴力や戦争といった「争いごと」で全人口の10%が死んでいました(今でもアジア・アフリカなどの民族紛争で多くの死者が出ていますが、戦争で死ぬ人は人類史の中で最も低い割合まで低下しました)。

 

「昔はよかった」というひとがときどき大人の中にいますが、そういう人は根本理解が間違ってます。

 

あらゆる統計を見ると、人類の歴史の中で、現在は、「もっとも豊かで、苦しみの少ない、それゆえの新しい課題」を抱えた社会であるといえます。誰も経験したことのない体験をしているのです。それだけ変化の大きな時代です。時代に合わせて柔軟に生きていく姿勢が求められます。変化対応、柔軟性、創造性には知識が必須です。

そうした、知識が高度化した社会において、勉強を放棄するというのは、極論すれば「1億円をドブにすてて、そのあと火をつけて燃やす」のと同じくらいチャレンジブルな、でも愚かな行為です。

 

出来るだけ勉強はしてください。先人から受け継いだ豊かな社会、深い知識を維持発展させるには、みんなの、全員の力が必要です。

 

現在を生きる我々には、過去に対してと、未来に対しての責任があります。

 

まず個人としてよい人生を作り、そのあと「みんな」に対する責任も背負う、そのためには、「深く思いやりのある」【成熟した人々】が必要です。

 

【成熟】した人間になれるのであれば、もちろん勉強でなくても構いません。部活、サークル、私生活、アルバイト、恋愛…などを通じて、「人間的に強く、思いやりのある、優しく、逞しい人間」を目指し続けてください。それこそ人生の、真の挑戦です。

 

卒業生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。新しい舞台はすぐそこです。

 

準備を怠りなく、ね!

 

リングへようこそ。