知求塾

勉強をする意義をから揚げに例える

2019年11月26日 | chikyujyuku

こんにちは、知求塾のさかぐちです。

 

今日は、テスト対策に励む当塾の中学生(受験生)のご質問にお答えします。

 

「勉強する意義について考えています。ちょっと(勉強に)疲れてきました」

 

うん、昔このブログにも書いたけど、勉強する意義は「太宰治」のカルチベート論に尽くされていると思うんだよね。

 

人間を野蛮人から耕して文明化する、この言葉は強烈です。

 

ただ、今回は同じ答えをもう少し身近なもので例えたい。

 

勉強する意義はから揚げである。

 

美味そうだね。要するにね、この料理は油をくぐって生の鶏肉が「別のものになる」ということが大事なんだ。

 

別のものになる。

 

勉強で言うなら、自分を別のものに作り変えてしまうこと。もっと崇高な、価値あるものになってゆくこと。それが勉強する意義だ。

 

から揚げは熱した油に漬かることで、別のものになる。

人間は、「勉強」という油に漬かって別のものになる。

先人の智慧だ。

 

とにかく、別のものになった暁には、もう油のことは忘れてよろしい。

 

勉強も、やるだけやったら忘れても(忘れないほうがいいけど)仕方ない。

 

という答えで、どうでしょうか。

 

何を言ってるか分からない? うん、僕も混乱してきたよ笑。