知求塾

なぜ、かつての20年前の教育困難校が「マトモ化」しているのか

2020年2月14日 | chikyujyuku

こんにちは。

個別IT授業+集合授業=いいとこどりのミックス!

で生徒の成績をすくすく伸ばす、総合学習塾・知求塾のさかぐちです。

 

今日も愛知県刈谷市、東刈谷より学習に関する諸々の情報をお届けします。

 

今日は雑感です。ソースは記憶といくつかの証言です。たぶん、どこかに問い合わせたり、うまくグーグール先生に聞けばぴったしのサイトがあるんでしょうけど、ちょっとうまく見つけられないor見当たらないので、今日は話半分だと思ってください。デマ情報じゃありません。

 

坂口が中学3年だったのはもう25年も前のことですが、そのころの記憶として、「内申20を切る学校に行くとやばいことがたくさんある」という話を先輩や同級生からよく聞きました。

 

校舎のガラスはなぜか割れている、ヤンキー(死語ですね)が廊下をうろうろしている、何を考えてるかわからない一年間ひとことも声を聞いたことのない同級生がいるetc…。

 

某大手塾でも、高校名名指しで「○○高校かあ、あんな所に行くやつにはク◎やな」と講師が大声で話すと笑いが起きてました(僕は「そこに行くしかない」事情を抱えた友人がいたので、体験授業でそれを聞いてその塾に行くのをやめました)。

 

今は考えられないですよね。平成初期、まだ昭和の荒々しさが残る、まだテレビはブラウン管で、インターネットがなかった時代の話です(坂口がインターネットなるものに触れたのは高校2年の時です。当時のネットはそりゃもう…略)。

 

で、だいたいそういう高校って例えば300人定員で入学式をやるんですが、1年たつと250人くらいになっているんですよね。やめちゃうわけです。そして3年になると210人になっている。卒業になると180名くらいになっている。つまり、全体の40%が中退してしまう。

 

これは坂口がバイト講師をはじめた20年前もおんなじ感じでした。当時はヤンキーではなく、チーマーという言葉で「ヤンチャBOY」をくくってました。ブロードバンドが普及し、動画や音楽のインターネット配信が始まりかけ…の頃です。

 

そして、大学を卒業後、塾企業で講師経験を積むのですが、そのときあたりから徐々に教育困難校と言われていた高校群に変化が起き始めたのです。

 

まず、中退者が減りました。高校ガイドブックを見ると明らかなのですが、やめる生徒が少ない。ほとんど全員が卒業することができるようになった。これは大きな変化が起きているな、と感じました。

 

そして、次に服装の乱れ、当時は腰パン=腰履きする生徒がいたり、眉毛が無かったりメイクがどぎつい女子高生が結構いたのですが、それがいなくなった。

 

そして、10年ほどで、やめそうな(見た目で判断しちゃいけないのは重々承知していますが)生徒はいなくなり、おとなしい(という言い方はよくないですけど)生徒だけが残った。

 

これは、学校の先生の指導の賜物であることは論を待ちません。たぶん、ものすごい努力があったんだろうと思います。

 

それと同時に、それ以外の理由もあったのだろうと思います。

 

思いつく理由としては、以下のようなことが考えられます。

①教育困難な子たち(やめちゃうタイプの子たち)が定時制、通信制へ移った

②インターネットの普及で生徒の個性が多様化した(マイルド化)

③子どもの数が減って、大人(社会)の目が届くようになった

 

ちょっと長くなってきたので、明日のブログへ続きます。すんません!また明日よろしくお願いします!!