知求塾

インターネットによる個人の嗜好の多様化

2020年2月16日 | chikyujyuku

こんにちは。

個別ICT + 集合授業で生徒の成績をグングン伸ばす、総合学習塾知求塾のさかぐちです。

 

本日も愛知県刈谷市・東刈谷から学習情報をお届けします。

 

2日前からの記事の続きです。このエリアにもあった「教育困難校」予備軍の学校がなぜマトモになっているか、という雑感の続きです。

 

学校の先生方のご指導の賜物に加えて、このような要因があったのではないか、という記事を書きました(もちろん、これがすべてではありませんし、これは愛知県西三河で暮らしてきた、いち生活者の感覚、ということをお断りしておきます)。

 

①やめちゃうタイプの子たちが定時制、通信制へ移った

②インターネットの普及で生徒の個性が多様化した(マイルド化)

③子どもの数が減って、大人(社会)の目が届くようになった

 

今日は

②インターネットの普及で生徒の個性が多様化した(マイルド化)

 

ということについて書こうと思います。

 

かつて昭和時代は、勉強できない生徒は

「勉強できない→ヤンキー化、不良化」

という一直線の道が、あえていうとその道しかなかったように思います。もちろん、それ以外の道を歩んだ生徒さんも沢山いたのでしょうが、勉強ができないことに反抗する、ということになるとそういう道しかなかったのかな?と。

 

情報もマスメディア(特にテレビ、ラジオ、新聞、雑誌の影響は大でした)から一方的に提供されるだけでしたし、庶民=情報を受け取る側も「自分から発信しよう」という気にもならなかったし、思いつきもしなかった、それがネット以前でした。

 

ネットが何を変えたか?というと、誰にでも発信ができるようになった=自分自身がメディア(みんなに見られるもの)になったということでしょう。例えば、この私もフェイスブックやこのブログを通じて自分を発信しています。すべての人が、自己表現の機会を与えられた。それがインターネットの一側面でしょう。

 

インターネットが普及して、自己表現→自己承認の機会がリアル世界のみからネット世界に移ったことにより、リアルのヤンキーが減った。その結果、皆のファッションや考えが「マイルド化」して、学校サイドからすると扱いやすい生徒になってきた、というのがさかぐちが考えた仮説です。

 

これだからネット世代は…とはもう言われなくなりましたが、インターネット以前と以後はおそらく人格や性格の形成が以前とは全く異なっているはずです。インターネットが普及しだして25年、ネット第一世代を我々は社会に迎えています。

 

どんな技術にも良い部分と、これからの部分がある。いつも心に留めながら仕事(子どもたちと関わること)をしています。

 

明日は、③大人の目が届くようになったこと、がもたらす影響について考えたみたいと思います。