知求塾

さかぐちが過ごした中学生活「最高の3か月」とは?~①~

2020年2月23日 | chikyujyuku

こんにちは、

個別ICT+集合授業=いいとこどりのミックス!

で生徒の成績をすくすく伸ばす、総合学習塾・知求塾のさかぐちです。

 

本日も塾情報&教育情報をお届けします。

昨日、SNS経由で(当塾はHP以外だと、フェイスブックとインスタグラム、そしてブログが広報の役割をしています)こんなお便りをいただきました。

 

うちの子なんですが、入試までこの時期になっているのに「どうせ私は学校に行ってないので受からない」と言って勉強を避けていますが、このようになった我が子に何か言えることはないでしょうか。もしよかったらなにかアドバイスを頂戴できないでしょうか

 

なるほど、、、お子さんはあまり学校に行ってない。公立を受ける。でもどうせ駄目だと思っている。やる気が低下している、という感じなのですね。

 

アドバイスはできないですけど(住んでいらっしゃる場所や志望校、成績、ご兄弟など、情報があまりにも限られてますので)、その代わりに僕の話をします。

 

僕は中学3年の12月から2月まで、不登校(当時の言い方だと登校拒否)でした。正確に言うと、保健室登校というやつです。なので、お子さまのような境遇というか、環境にいる子に個人的に親近感があります。

学校ごと(教育委員会ごと)にそういうのがどう扱われるか、ご質問者さまの住んでいる地域が分からないのでお答えでないのですが、僕は当時、教室にいることに、プツンと何かが切れて嫌になって、保健室に行き、その後卒業式近くまで教室にはいきませんでした

内申点がダメになるな、ということはわかっていました。でも受験だとか人間関係(こっちのほうが大きかったですね)がもう嫌だったのです。

 

保健室の先生は、I先生というすごくいい先生で、なんでもまずは笑って受け入れる「寛容」を絵にかいたような方でした。

ふらっと保健室に入った僕を温かく迎えてくれました。

尾崎豊の詩の世界じゃないですけど、「この支配からの卒業」を目指して、哀しみが心から溢れている生意気な少年だったので、くたくたになった心とからだを休めたかった、そういう多感な時期でした。

 

生きてることそのものが嫌になってきていたので、すごくありがたかったです。

 

保健室には先人が2人いて、この2人のことは昔からの知人でした。

E君は、小学生時代は「神の子」と言われた神童で、中学に入った後もしばらくはぶっちぎりの成績トップ争いをしていた生徒だったのですが、1年の冬にぷっつり学校に来なくなり、3年生になって毎日保健室には顔を出すようになった、という生徒でした。

 

*ちなみに、教室が怖い、と後日談を聞きました。一人でどうやって学習していたのかわかりませんが、3年になった後もテストの筆記試験はすべての教科で90点を超えていました。スゴイ。。。

 

もう一人のS君は、典型的なヤンキーで、髪の毛をどうやってそんなに逆立てたのさ?という感じにピンピンになっている、後輩からは怖がられている子でした。でも僕は知っていたんです。いささか複雑な家庭に育っている彼が、すんごく母思いで、純粋で優しい男だということを。

 

*捨て猫(そういうのが昔はたくさんいました)にそっと給食の残りを分け与えるためにパンや牛乳のあまりを集めて、保健室裏で餌にしていました。S君のことを「ボンビー神」という隠語で馬鹿にする子もたくさんいましたが、彼の行いを偶然知った学年一の美女?が彼にぞっこん惚れて…という不良漫画そのままの話もありましたねえ。

 

こっちは学校が怖かったわけではなく、教室には自分ひとりだと存在が「浮く」ので、保健室でゲームボーイをやっているという「いかにも」な生徒でした。

 

そこに、僕が入っていき、そして、3人に化学変化が起きるのです。

 

ちょっと話が長くなりそうなので、続きます。

 

また明日、よろしくお願いします。