知求塾

追悼記事~豊田南高の浅岡先生を偲ぶ~

2020年9月14日 | chikyujyuku

こんにちは、知求塾のさかぐちです。

 

昨日は中学3年の授業(入試用)をみっちりやって、帰りがけにスマホをチェックしたら随分たくさんの「未読」が。

 

読んでいくと、グランパスが負けた記事や(横浜FCに負けるとは…)、塾長付き合いのある方々の今日の疑問(結構あるんですこれが)がたんまりありまして、そのあと「豊田南高3年6組」のグループラインで浅岡教頭先生(我々が高校時代に英語を習っていた先生)の訃報を知りました。79歳だったそうです。現代の79というと、まだ若い感じがします。

 

実のことを言うと、さかぐちは30代を支配した病気治療の関係で、高校時代のことはかなり記憶が欠落しております。ほとんどナッシングといってもいいくらいです。

なので、というわけではありませんが、実をいうと浅岡先生のお顔は覚えているのですが、授業内容は全く覚えてません。

 

にもかかわらず、厚かましくも今は亡き教頭先生の記事を書こうと思ったのは、「浅岡先生はかなり優れた教師だった」という確信があるからです。

 

 

「3流の講師は嫌な印象が残る」

「2流の講師は素敵な先生だったな、と言われる」

「1流は、そんな先生いたっけ?と良い意味で忘れ去られる」

※もちろん、スーパーな印象を残す「超1流」もいますが(ドラゴンイングリッシュの竹岡先生とか)、稀ですよね。それにそういう方は何かしら業の深いところがあるかもしれません。

 

「良き教師の仕事は忘れ去られること」だと、僕は20年弱の講師経験で痛切に感じています。「いい教師に、いい講師に、いい教授に、いい教育者になろう」と思ってこの業界の門をたたく人は多いですが、「誰かにとっていい人間になりたい」という思いが生徒にとっては結構負担というか、余計な力みになっていることが多い気がします。

 

もちろん、授業の腕もない、組織に貢献できる裏方仕事も未熟という時期の新人・若者にとっては、熱意&元気だけが売り物ですからそれでいいんです。生徒も若い先生って大好物じゃないですか(笑)。

 

しかし、ある程度年の功を重ね、生徒をど叱ったり、やめていく子がいたり、校風(塾風)と自分の教育観が合わなかったり、、、まあ、塾も学校もその辺は一緒なんですけど、組織と自分の乖離に悩んだりするのはなにも一般企業だけでなく学校もおんなじじゃないかなと感じます。

 

我々は豊田南高校16回生です。まだできてから16年しか経ってない学校って、ようやく校風が定まった、という程度なんです、たぶん。

 

自分の出身校は最近、掲示板などではこう言われています。

偏差値的にも内申点的にも微妙な「自称進学校」(最近この言葉よく聞きますけど、感心しないですね)。確かにそういう一面はありますが、その「ウルトラ進学校ではない生徒層を鍛えて結果を出し続けてゆくことの大変さ」は、塾の運営者である僕には本当によくわかります。

 

教頭先生というのは、実務面の最高責任者だと聞いております。教職員を束ねるお立場なので、いろいろご心労のこともあったかと思います。しかし、さかぐちが覚えてい浅岡先生は目力がある、ちょっと髪の薄くなった(笑)、校舎の渡り通路をシャキシャキ歩く小柄な先生です。その当時は何とも思わなかったそういう何気ない光景が、20年少し経つと浅岡先生に関して覚えている唯一の光景だというのも不思議な気がします。

 

「神は細部に宿る」と申します。小さな記憶というのは結構馬鹿にできなくて、小さな小さな記憶が、つらい時、孤独な時、人を結構長い時間「温めてくれる」ものです。

 

世の中のほとんどの人は、すれ違う相手に何の印象も残さない。それは当然です。名古屋駅ですれ違う人一人一人に印象を残していたら大変なことになってしまいますから。

でも問題は、毎日顔を合わせているのに何の印象もない、という例だってあるということなんです。僕が思うに、何の印象もないのは2つの種類があります。本当に「無」なのか、あとから思い出せば「実は不思議なことなんだけど…」という感じで「思い出せる逸話」がたった一つでもあるか。

 

僕にとって浅岡先生は、逸話が一つある。元気な教頭先生。渡り廊下を元気そうに歩くおじ(い)ちゃん先生。

 

一つでもあれば、僕はその人の人生は成功だと思います。その時のことが、凍える夜にきっと心を温めてくれるから。僕もそうした「塾生のともしび」になれるよう、毎日をすごしています。そのともしびの元の一部は、浅岡教頭先生から受け継いだものだとはっきりといえます。そしてそれを次の世代に受け渡してゆく。それが歴史です。

 

僕のブログにしては長い文になりましたが、これが追悼記事か?という内容でもありますが、心からご冥福をお祈りします。

 

僕がそちらに行くのは62年後(予定)の103歳となりますのでその時またぼくの苦手な英文法の授業でご一緒できたらと思います。

 

心より感謝申し上げます。

 

総合学習塾 知求塾

坂口嘉一