こんにちは!
個別授業+集合授業=いいとこどりのミックス型学習塾!
で子どもたちの学力向上を全力応援!知求塾のさかぐちです。
本日も愛知県刈谷市、東刈谷より365日毎日更新で学習情報&塾情報をお届けします。
仕事柄、学校の先生が作られた「学級通信」や「学年だより」「保健室より~」というようなお手紙を読む機会が多いです。
4月は先生方の自己紹介といろいろな希望にあふれた記事が紙面を彩ります。
そこで(別に文句をつけているわけではないのですが)、非常に気になった文面がありました。
「君たちには無限の可能性がある」という言葉が複数のクラスのお手紙で使われていたことです。
先生方が言いたいことはわかりますし、善意で言ってくださっていることは重々承知しています。
もちろん僕も子どもたちを前にそうした気持ちを持つことがありますが、僕だったらこういう言葉はまず言いませんし、使いません。
子どもたちの可能性というのは非常に限られたものです。
そもそも、公立小中では行く学校だって選べないじゃないですか。勉強をやりたいから部活を拒否すること、も非常に難しいですし、学校というシステムは内申点で(ある意味残酷に)生徒をランキング付けします。
無限の可能性、というのは大体において、何を定義しているのかわからない言葉です。
ある生徒が人間的に無限に成長して、みんなが誰でも努力次第でガンジーかマザーテレサに、もしくはウォーレンバフェットに、オリンピアンになれるといういみなのでしょうか。
努力ということは尊いですし、若いうちはそういう体験をたくさん積む(知求塾でも努力の積み上げを奨励しています)ことは本当に大切ですが、一人一人の人間は「生身」であり、その生身には「限界」がある、ということから説明した方が親切だと思います。
子どもたちに努力を求めるのであれば、「どこまでそれを求めるのか」はある程度明確にしたほうがいいと長年の講師経験が教えてくれます。
人間は生身で、生身ということは傷つきやすく、壊れやすいということと同義です。そうした「弱きもの=人間」に「無限の可能性」という言葉を使って努力を求めるのはちょっと僕には考えづらい、、、と思った次第です。
もちろん、文面でただ感じたことです。知求塾エリアの学校の先生方に僕は基本的に好感を抱いている、というのを最後に書き添えておきます。
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C こまーしゃる M
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