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個別授業+集合授業=いいとこどりのミックス型学習塾!
で子どもたちの学力向上を全力応援!知求塾のさかぐちです。
本日も愛知県刈谷市、東刈谷より365日毎日更新で学習情報&塾情報をお届けします。
終戦の日ですね。大戦で多くの命が失われたことに思いを馳せ、平和を祈る日です。もちろん、坂口も(沖縄や広島、長崎への訪問歴もあります)祈りを捧げます。
しかしながら、この日に関しては昔(小学生の高学年)ころから違和感もあり、今日はそのことについて記したいと思います。
日本でこの時期になると夏のアニメ放送や新聞報道などで「悲惨な戦争を繰り返すな」というキャンペーンが張られるのですが、そのほとんどの記事が「私たちはひどい目にあった」という被害者ポジションから記憶が語られるのです。もちろんそれは事実です。
しかしながら、平和の祈りというのは「こんなに悲惨な目にあったかわいそうな私」という「被害者としてのわたし」という名乗りでは全世界に対する波及性がないと思います。全然ない。
戦争には「加害者」と「被害者」の双方がいます(ほかにも色々ありますけど話が複雑になるのでいったん措きます)。
そして日本では(とまとめるのにも違和感がありますが)「被害者としての私」という名乗りを上げるのに熱心すぎるという感覚があります。
私の祖父は満州国で終戦を迎えました。正確には満州鉄道の職員で、ソ連が参戦したと現地人に聞くと真っ先に列車に飛び乗って南へ逃げ、なんとか命拾いしたという経歴の持ち主です。
祖母は「私たちは中国人をいじめなかった、だから(ソ連参戦を)教えてもらえた」と言っていました。「ひどい(いじめをしていた)日本人はみんな死んだ」と。
祖父や祖母は詳細には語りたがらなかったですが、日本人が大陸でどんなことをしてきたか、つまり加害の歴史をしっかり記憶していました。
そしてそのことを忘れず、ごまかす人でもありませんでした。「加害者としての私たち」という文脈で語ることを厭わない覚悟がありました(私が自由研究の題材に選んで聞いたときにそれを感じました)。
もちろん、記憶が美化されていることは間違いありません。祖父母なりに卑怯な部分もあったでしょう。ただ、孫の前で「武勇伝」にするような記憶の改編はしなかったということです。
私たちが包括的に「戦地や大陸で、太平洋でなにをなしてきたのか」という大きな物語を語れるようになる日は来るのだろうか…とおもうといささか暗澹たる思いになります。
まとめます。
我々は戦争の被害者です、でも、加害者でもあります、傍観していた観客でもあります、そうした意味での「大きな物語」を、国民として事実をもとに創造し、記憶する段階に来ているのではないかと思うのです。
「終戦記念日」などと歴史をごまかすのもよくありません。「敗戦日」のほうがマシです。
小さなことでは学校テストの失敗や会社のプロジェクトの失敗、大きなことでは戦争の勝敗まで、我々が成長するのは「なぜ負けた、なぜ失敗したのか」という問いで自分自身を切り裂かないと成長しません。
そこにはメタファー(暗喩)の赤い血が流れるはずです。
今の我々にはそれがない。
村上春樹さんの「ノモンハン小説」といえる「ねじまき鳥クロニクル」の背表紙を見ながらそんなことを感じる終戦記念日です。。
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C こまーしゃる M
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