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父の日にちなむ「坂口の父のエピソード」です。
オールウェイズ・3丁目の夕日、という映画があります。
昭和30年代の日本の原風景、日本が最も急速なスピードで「良くなっていった」時代を描いた作品で、当時かなり流行った映画です。調べてみたら2005年制作でした。
いわゆる、白黒テレビ、冷蔵庫、洗濯機が登場した時代です。
うちの祖父は昔でいう所の「ハイカラさん」だったらしく、坂本村の中で一番にこれらの機器を導入したようです。お陰で父は鼻高々だった、ということをよく語っています。
父は自分の幼少時代、僕には説明しないですね。高校生になって当時の彼女をバイクに乗せて(もちろん無免許w)電柱に当たったというような、それなりの話はあるのですが、闊達な普通の少年だったようです。もしかしたら母の前では言いにくいのかもしれません。
祖父の伝説を語ることはよくあります。
①水道が通ってなかった集落に水道を通してやるといい、家の目の前の川から水道管をすべて配置し、100件以上の家に水道を整備した。もちろん無償労働。
②急峻な山の斜面にミカンを植えて坂本村をミカンの山地にしようと画策。ところが、山が急峻すぎて午後は日陰になることをうっかり忘れて作業したため、ミカンは十分甘かったが見た目の点で市場には出荷できなかった。現在は猿の餌になってるはず。。。
*これ、僕も7歳の時、孫として山に登ったことがありますが、石組みや山道を通して全部自分一人でやったのか、と思うとすごかったです。
③家具家電はとにかく村一番乗り
祖父は信じられないくらいの働き者でしたが、要領が悪いというか猪突猛進してしまうタイプだったらしく、家計はものすごく豊か、という感じではなかったようです。
昭和40年代になって、父が18歳を迎えるころ、就職か進学かを考える時期に来ます。父は就職を選びました。愛知県豊田市に移住して、大手自動車メーカーでの日々がはじまります。
ただ、この決断は「プランB」であったようです。本当は東京に出て大学に通いたかったようなのです。駒澤大学などに受かったけど、お金の問題で行けなかったとかなんとか、一度ぽつりといったのを覚えています。
お兄さんが熊本大に進学したのに比べ、自分は、、、という鬱屈があったようなのです。このことが父の子育て方針にある種の方向性を与えます。必ず自分の子どもは大学に、それもできるだけ良い大学に行かせたい、という希望です。
C こまーしゃる M
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