知求塾

知求塾アーカイブ~好評記事を再録します~

2022年8月6日 | chikyujyuku

刈谷市&安城市&知立市の皆さんこんにちは!(その他の地域の方もご訪問ありがとうございます)

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本日は知求塾アーカイブ、好評記事の再録です。2021年4月24日の記事がなぜかここ2日間好評でして、再録させていただきます。こんな古い記事をどうやって掘り起こしたのでしょうか。。。謎ですが、昔の記事に光を当ててくださって感謝です。

 

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仕事柄、学校の先生が作られた「学級通信」や「学年だより」「保健室より~」というようなお手紙を読む機会が多いです。

 

4月(註:当記事は2021年4月の記事です)は先生方の自己紹介といろいろな希望にあふれた記事が紙面を彩ります。

 

そこで(別に文句をつけているわけではないのですが)、非常に気になった文面がありました。

 

「君たちには無限の可能性がある」という言葉が複数のクラスのお手紙で使われていたことです。

 

先生方が言いたいことはわかりますし、善意で言ってくださっていることは重々承知しています。

もちろん僕も子どもたちを前にそうした気持ちを持つことがありますが、僕だったらこういう言葉はまず言いませんし、使いません。

 

子どもたちの可能性というのは非常に限られたものです。

そもそも、公立小中では行く学校だって選べないじゃないですか。勉強をやりたいから部活を拒否すること、も非常に難しいですし、学校というシステムは内申点で(ある意味残酷に)生徒をランキング付けします。ひとの「振り分け」をしておいて、こういうことを言う=「無限の可能性」というのは無理筋です。

 

大体、無限の可能性、というのは何を定義しているのかわからない言葉です。

ある生徒が人間的に無限に成長して、みんなが誰でも努力次第でガンジーかマザーテレサに、もしくはウォーレンバフェットに、各種のオリンピアンになれるという意味なのでしょうか。

 

努力ということは尊いですし、若いうちはそういう体験をたくさん積む(知求塾でも努力の積み上げを奨励しています)ことは本当に大切ですが、一人一人の人間は「生身」であり、その生身には「限界」がある、ということから説明した方が親切だと思います。

 

子どもたちに努力を求めるのであれば、「どこまでそれを求めるのか」はある程度明確にしたほうがいいと長年の講師経験が教えてくれます。

 

人間は生身で、生身ということは傷つきやすく、壊れやすいということと同義です。そうした「弱きもの=人間」に「無限の可能性」という言葉を使って「どこまでかわからない」努力を求めるのはちょっと僕には考えづらい、、、と思った次第です。

 

もちろん、文面でただ感じたことです。知求塾エリアの学校の先生方に僕は基本的に好感を抱いている、というのを最後に書き添えておきます。

 

 

C こまーしゃる M

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