刈谷市&安城市&知立市の皆さんこんにちは!(その他の地域の方もご訪問ありがとうございます)
JR東刈谷駅から南へ徒歩5分、知求塾の坂口です。
ここ数回にわたって、世界で進むSNS規制について書いてきました。
オーストラリアでは未成年SNS規制が進み、EUでは巨大IT企業への規制が強まり、日本でも議論が始まりつつあります。
また、誹謗中傷、依存、フェイクニュース、選挙介入、メンタル悪化など、SNSが抱える問題についても整理してきました。
では最後に、
「坂口はどう考えているのか?」
を書いてみたいと思います。
結論から言えば、僕はSNS規制強化にはかなり慎重な立場です。
もっと言えば、“懐疑的”です。
ただし、
「SNSは最高!」
「完全自由!」
「規制は全部悪!」
みたいな単純な話をしたいわけではありません。
SNSに危険性があるのは事実です。
実際、教育現場でもそれは毎日のように感じます。
ただ、それでもなお、「強い規制」には慎重であるべきだ、と僕は考えています。
SNSは確かに危険です
まず最初に書いておきます。
SNSは、人間をかなり壊します。
これは本当にそうです。
時間を溶かす
集中力を奪う
承認欲求を刺激する
比較地獄を生む
炎上する
傷つく
傷つける
実際、塾の授業以外外の時間、休み時間でもかなり見ます。
TikTokを見続けてしまう子。
夜中までスマホを触って睡眠不足になって塾に来る子。
LINEの人間関係で疲弊している子。
SNSで病んでしまう子。
これは現実にあります。
だから、
「SNSには問題なんてない」
とは、僕は全く思いません。
ただ、人間社会そのものでもある
一方で、SNSを見ていると、
「これ、人間社会そのものだな」
とも思います。
心がつながる瞬間も、確かにあります。
救われる子もいます。
愛が育つ子もいます。
学べる子もいます。
逆に、
心を溶かす子もいる。
傷つく子もいる。
時間を失う子もいる。
つまりSNSは、
“人間社会の縮図に、ブーストをかけたもの”
なんですね。
人間の善意も悪意も、未熟さも優しさも、全部増幅される。
だから極端になる。
実際、SNSに救われている子もいる
これは塾屋をやっていると、本当に感じます。
例えば、
YouTubeで勉強している子。
LINEで質問してくる子。
解説動画で理解が進む子。
学校では居場所がないけれど、ネット上で趣味の仲間を見つけた子。
「先生、この動画めちゃくちゃ分かりやすかった!」
と嬉しそうに話してくる子。
こういう姿も、実際にあります。
昔なら出会えなかった知識。
昔なら届かなかった学習機会。
昔なら接続できなかった人間関係。
それを可能にしているのも、またSNSやインターネットです。
これはかなり大きい。
情報リテラシーは「隔離」だけでは育たない
ここが、僕が規制強化に慎重な最大の理由の一つです。
人間は、失敗しながら学ぶ部分があります。
もちろん年齢制限は必要でしょう。
一定の保護も必要でしょう。
しかし、
「危険だから全部遠ざける」
だけでは、情報リテラシーは育ちません。
例えば、自転車も危険です。
車も危険です。
包丁も危険です。
でも、
どう使うか
どう危険を避けるか
どう判断するか
を学びながら、人は成長します。
インターネットも、本来はそれに近いはずです。
「禁止」は簡単です
正直に言えば、「禁止」は簡単です。
ルールで止めればいい。
しかし、人間社会はそれだけでは回りません。
特にSNSのような巨大技術は、
「存在しないものとして扱う」
ことがもう不可能です。
ならば必要なのは、
使い方を学ぶ
距離感を学ぶ
情報を疑う
感情をコントロールする
という教育だと思っています。
つまり、
最後は“人間教育”の問題になる。
これは学校だけでは無理です。
家庭だけでも無理です。
地域も必要です。
だから僕は、塾もその一部だと思っています。
「正しい情報」は誰が決めるのか
もう一つ、僕がかなり慎重なのはここです。
規制が進むと、
「有害情報を消そう」
という流れになります。
ここまでは分かります。
ただ、その次に来るのが、
「では、何が有害なのか?」
という問題です。
これは本当に難しい。
誰が決めるのでしょうか。
国家でしょうか。
企業でしょうか。
AIでしょうか。
歴史を見ても、
「安全のため」
「秩序のため」
「子どものため」
という言葉は、ときに強い統制につながります。
もちろん、本当に子どもを守る必要はあります。
しかし同時に、
“管理する側”もまた人間である
という視点は、絶対に忘れてはいけないと思います。
小さな声が消える危険もある
SNSの良い部分の一つは、
「小さな個人でも発信できる」
ことでした。
昔は、
テレビ
新聞
大企業
大組織
しか、広く発信できませんでした。
しかし現在は、僕のような地方の小さな塾でも発信できます。
実際、僕自身もブログを書き、YouTubeをやり、SNSから大きな恩恵を受けています。
これは本当にありがたい時代です。
もし過剰な規制が進めば、
“大きな声だけが残る”
可能性もあります。
ここはかなり慎重に見なければいけないと思っています。
人間は「自由」に耐える練習が必要
これは少し大げさに聞こえるかもしれません。
でも僕は、
「自由に耐える力」
というものがあると思っています。
自由は、楽ではありません。
選択を迫られます。
誘惑もあります。
失敗もあります。
SNSも同じです。
時間を失う自由もある。
学ぶ自由もある。
傷つく自由もある。
誰かを救う自由もある。
だから難しい。
最後は「どう生きるか」の問題になる
結局、SNS問題は、
「アプリの問題」
だけではないのだと思います。
どう時間を使うのか。
どう人とつながるのか。
どう感情を扱うのか。
どう学ぶのか。
つまり、
“どう生きるのか”
という問題に近づいていきます。
だからこそ、単純に
「全部禁止」
「全部自由」
では解決しない。
僕自身は、SNS規制強化にはかなり慎重です。
ただ同時に、
「SNSは危険性を持つ巨大装置である」
という認識も必要だと思っています。
便利。
危険。
自由。
依存。
学習。
誹謗中傷。
愛情。
孤独。
SNSには、人間社会のほとんど全部が入っています。
だからこそ、難しい。
そしてだからこそ、考え続ける必要があるのだと思います。

