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フットボール記事の続き~社会全体にある空気感「全部いいか、全部だめか、という極端主義」~

2026年5月21日 | chikyujyuku

ちょっとだけ昨日、一昨日の記事に意見を書きます。

 

私はサッカーだけの話ではなく、日本社会そのものに一つの癖があるように感じています。

それは、

一度「空気」ができると、それに逆らうことが極端に難しくなること。

そして逆に、失敗すると必要以上に自信を失い、今度は自己否定へ振れやすいことです。

歴史を振り返れば、極端な例として豊臣秀吉の外征、近代以降の急速な富国強兵路線、戦後の「一億総懺悔」、高度経済成長期以降の「経済で勝てばよい」という価値観、そしてバブル崩壊後の長い停滞期における過剰な悲観――。

 

 

もちろん時代背景は全く違います。

ただ共通して見えるのは、

熱狂と自己否定の振れ幅が大きく、「中庸」や慎重な議論が軽視されやすい傾向

ではないでしょうか。

 

言い換えるなら、

「今はまだ難しいのでは?」
「地道に積み上げる方が大事では?」
「拡大より成熟が先では?」

こうしたブレーキ役の声が、時に消極的、悲観的、空気を読まないものとして扱われやすい。

 

 

私はこれはスポーツ界にも見られると思っています。

日本代表が勝てば、

「史上最強」
「優勝できる」

負ければ、

「日本サッカーは終わった」

その間にあるはずの、

“かなり強くなった。でも世界一まではまだ距離がある”

という見方は、案外語られません。

 

【中庸について】

① 中庸の由来:儒教の古典『中庸』

「中庸」は中国古代の儒教思想に由来します。

 

元々は四書(ししょ)と呼ばれる儒教の重要文献の一つ、

中庸

という書物の名前です。

作者は直接は不明ですが、伝統的には孔伋(孔子の孫)に由来するとされます。

そして後に朱熹が整理し、東アジア思想の中心概念になりました。

 

江戸時代の日本の教育(藩校など)でもかなり重視されています。

 

② 「中」と「庸」は何を意味する?
中(ちゅう)

真ん中、平均、半分…

ではありません。

本来は、

偏らないこと
その場に最も適した状態

を意味します。

つまり「50点」ではない。

状況によっては厳しく怒ることが中であり、
別の場面では許すことが中。

 

庸(よう)

こちらは意外ですが、

常に使われるもの
日常的・普遍的

という意味があります。

つまり「中庸」は直訳すると、

いつでも状況に応じて最も適切なバランスを保つことになります。

 

③ 中庸=妥協・事なかれ主義、ではない

ここが最大の誤解。

多くの人は、

中庸=ほどほど
中庸=どっちつかず
中庸=波風立てない

と思っています。

実は逆です。

儒教的な中庸は、感情や空気に流されず、最適点を探し続ける高度な判断力

を指します。だから難しい。

 

例えば教育なら。

極端①:

「勉強は自由。好きにやればいい」

極端②:

「毎日5時間やれ。根性だ」

 

中庸:

「学年×10分+20分を目安に、80%達成でも継続を優先」

 

④ 『中庸』の有名な考え方

有名な言葉があります。

喜怒哀楽の未だ発せざる、これを中という。
発して皆節に中る、これを和という。

ざっくり訳すと、

感情が暴走していない状態を「中」という。
感情が出ても適切に調和している状態を「和」という。

つまり理想は、

感情がない人ではなく、

感情を適切に扱える人です。

 

 

日本は熱狂と自己否定を往復しやすい

史上最強→終わった、を繰り返す。中庸が軽視される

という主張でした。

もし中庸を本来の意味で使うなら、

こう書くと深みが出ます。

私は日本社会に時々、「熱狂」と「自己否定」を往復する癖を見る。

だが儒教のいう中庸とは、

単なる中間や妥協ではない。

状況を冷静に見つめ、

過大評価も過小評価もしない地点を探し続ける態度である。

 

日本サッカーは30年で奇跡的な成長を遂げた。

だからこそ私は、

「史上最強」でもなく
「まだ弱い」でもなく、

“かなり強くなった。しかし成熟にはなお時間がいる”

という中庸の視点を持ちたい。と考えています。