【後編】数字を見ても、人は間違える
― 思い込みは悪なのか? ―
刈谷市&安城市&知立市のみなさんこんにちは!
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個別指導と個別対応、ICT学習=いいとこどりのミックス型学習塾!
東刈谷より、知求塾です。
前編では、
・47歳まで「クッピーラムネ」を「グッピーラムネ」だと思っていた話
・猿渡川を長年「猿投川」だと思っていた話
・人間は“見ているようで見ていない”こと
を書きました。
今回はその続きです。
結論から言えば、
私は年齢を重ねるほど、
人間は思っている以上に間違う生き物だ
と思うようになりました。
そして面白いことに、
その間違いは知識量や頭の良さと必ずしも比例しません。
賢い人でも間違える。
専門家でも間違える。
時には国全体が間違える。
「数字」は客観的。でも、数字を見る人間は主観的
塾でもよくあります。
保護者の方が、
「うちの子、結構勉強していると思うんです」
と言う。
本人も、
「毎日かなりやってる」
と言う。
ところが聞いてみると、
1日20分だったりします。
逆に、
「全然やれていません」
と言う子が、
実際は90分やっていることもあります。
つまり、
人間の感覚はかなり曖昧です。
だから私は以前から、
勉強時間の目安として
学年×10分+20分
をひとつの基準として話しています。
小3なら50分前後。
中2なら100分前後。
高3なら140分前後。
もちろん個人差はあります。
ただ、
数字に置き換えると、
「やっているつもり」
から少し距離を取れる。
これは大事です。
しかし数字も万能ではない
では、
数字さえあれば客観的になれるのか。
私はそうも思いません。
例えば 世界金融危機。
いわゆるリーマンショック前後です。
金融商品には膨大な数式がありました。
格付け。
統計。
モデル。
専門家。
数字。
全部あった。
それでも崩れた。
なぜか。
理由の一つは、
複雑すぎて、人間自身が理解しきれていなかった
からです。
数字は存在する。
でも、
理解できるとは限らない。
つまり、
最後に解釈するのはいつも人間です。
ここが難しい。
AI時代ほど「疑う力」が必要になるかもしれない
これからはさらに増えると思います。
AIは答えを出します。
統計を示します。
分析します。
便利です。
実際、私自身もかなり助けられています。
しかし最後に、
「その数字をどう読むか」
「何を重要と考えるか」
を決めるのは人間です。
だから将来もっと価値が出る能力は、
暗記だけではなく、
疑う力
考え直す力
修正する力
かもしれません。
古代ローマの英雄も、人間の“見たいものを見る性質”を語っている
ここで少し歴史の話をします。
古代ローマを大きく変えた人物として有名なのが、
ガイウス・ユリウス・カエサル
です。
ローマは長く共和国でした。
しかし彼の登場によって権力構造は変わり、
やがて帝政ローマへ移っていきます。
英雄。
軍人。
政治家。
改革者。
独裁者。
評価は今も分かれます。
そのカエサルに由来するとされる言葉があります。
(正確な出典は議論がありますが、内容として非常に本質的です)
「人間は事実が見えているわけではない。
見たいと思うことを真実だと思い込んでいるのだ」
私はこの言葉を読むたび、
少しドキッとします。
なぜなら、
クッピーラムネもそう。
猿渡川もそう。
教育も政治も経済も、
案外ここに当てはまるからです。
人は、
事実を見る前に、
「こうあってほしい」
「きっとこうだ」
を先に作ってしまう。
そして後から、
その考えを補強する材料を集める。
SNSでもよく起こります。
ニュースでも起こります。
時には国単位で起こる。
だから重要なのは、
自分が間違っている可能性を残しておくこと
なのかもしれません。
でも思い込みは悪いことばかりではない
ここまで読むと、
思い込み=悪
に見えるかもしれません。
しかし私はそうも思いません。
例えば ライト兄弟。
当時、
「人が空を飛ぶなんて無理だ」
と思う人は多かった。
もし常識だけを信じていたら、
飛行機はもっと遅れていたかもしれません。
そして現代にも似た例があります。
ジェフ・ベゾス です。
彼がインターネット書店を始めた頃、多くの人はこう考えていました。
「ネットで本なんか売れるわけがない」
「そもそもインターネットで小売は成立しない」
「実店舗を持たず商売するなんて無理だ」
今読むと少し不思議ですが、
1990年代なら決して珍しい意見ではありません。
さらに後年、
電子書籍端末が登場した頃にも、
「本を電子の板で読むなんて、人類はやらない」
という声は多くありました。
しかし結果として、
通販は生活インフラになり、
電子書籍も日常になり、
スマホやタブレットで文章を読む人は世界中にいます。
そしてベゾスは世界有数の富豪となり、
創業した Amazonの経営から退いた後は、
宇宙開発企業 Blue Originを通じて、
民間宇宙旅行の実現にも挑戦しています。
もちろん、
彼の経営手法については賛否があります。
労働環境や巨大企業化への批判もある。
私は何も無条件に礼賛したいわけではありません。
ただ一つ言えるのは、
「常識だから無理」
「みんなが無理と言うから無理」
は、
歴史上何度も覆されてきた、
ということです。
私は塾でも時々思います。
「この子は勉強が苦手」
「この学校では難しい」
「この地域では無理」
そう決めつけた瞬間、
可能性は少しずつ閉じ始める。
逆に、
根拠のある楽観や、
改善できるという思い込みは、
人を驚くほど伸ばすことがあります。
思い込みは危険です。
でも、
希望まで失った“完全な現実主義”もまた危険
なのかもしれません。
つまり、
良い思い込みもあります。
希望。
楽観。
挑戦。
「できるかもしれない」
という勘違いが、
世界を前へ進めることもある。
塾で見る最大の思い込み
私は教育現場で、
もっとも危険な思い込みをよく見ます。
それは、
「自分はできない人間だ」
です。
数学が苦手。
英語が苦手。
勉強に向いていない。
しかし実際は、
・姿勢
・文字
・直し
・習慣
・時間
が整っていないだけ、
ということは珍しくありません。
能力の問題ではなく、
方法の問題。
なのに、
「自分はダメだ」
という物語を先に信じてしまう。
これは本当にもったいない。
私は塾で、
問題の解き方だけでなく、
その思い込み自体も少しずつ修正したいと思っています。
47歳になって思うこと
年齢を重ねるほど、
知識は増えます。
経験も増えます。
でも、
思い込みも増えます。
だから必要なのは、
賢さより柔らかさ。
知識量より修正力。
そして、
「自分はまだ間違っているかもしれない」
と思える余白。
それが学ぶということなのかもしれません。
私はこれからも、
猿渡川を見るたび、
クッピーラムネを見るたび、
少し反省し、
少し笑い、
少し安心する気がします。
47歳でも、
まだ更新できる部分が残っているらしいので。
最後に一言。
人間は賢い。
でも、人間は驚くほど勘違いする。
だからこそ、
確認する習慣と、
柔らかい頭を持っていたいものです。

