若者には「人工的な修羅場」が必要だと思う
前回の記事で、ウィンブルドンを見ながら、昔の自分を思い出したという話を書きました。
高校生のころの僕は、期末試験の時期にウィンブルドンを見ながら、一夜漬けで勉強をしていました。夜中じゅう起きて、そのまま試験に行く。今考えると、かなり無茶なことをしていました。
そして、その話を書きながら、もう一つ考えたことがあります。
それは、「修羅場」についてです。
僕自身のことを言うと、若いころは自分なりに必死に勉強して、金沢大学というところに進学しました。
しかし、その大学を中退しました。
そこからは、ずいぶん迷いました。
失敗もたくさんありました。
フリーターをしたり、介護士の仕事をしたりしました。
そして、その後、塾講師という仕事にたどり着きました。
塾講師になってからも、楽な道だったわけではありません。
当時の教育業界には、今では考えにくいようなパワハラやモラハラも多くありました。
もちろん、それがよかったとはまったく思いません。
正当化するつもりもありません。
はっきり言えば、ひどかったです。
ただ、当時は若者に仕事があまりなかった時代でもあります。
辞めたくても、簡単には辞められない。
苦しくても、何とか耐えるしかない。
次の仕事がすぐに見つかる保証もない。
そういう状況の中で、僕は必死に仕事を覚えていきました。
授業のやり方。
保護者対応。
面談。
懇談。
教室運営。
トラブル対応。
子どもとの距離感。
スタッフとの関わり方。
一つひとつ、現場で覚えていきました。
結果的に、「塾で生き延びるワザ」のようなものが身につきました。
ただし、それは会社がきちんと教育してくれた結果ではありません。
どちらかと言えば、岩に素手でつかみかかり、爪から血を流しながら、何とかよじ登っていくようなものでした。
もちろん、これは比喩です。
でも、感覚としては、それに近いものがありました。
誰かが丁寧に教えてくれるわけではない。
失敗すれば怒られる。
うまくいかなければ、自分で考えるしかない。
逃げ場がない。
それでも、明日も仕事はやってくる。
そういう日々の中で、少しずつ強くなっていったのだと思います。
だからというわけではありませんが、僕は面談や懇談であまり緊張しません。
もちろん、いい加減にやっているという意味ではありません。むしろ、かなり集中しています。保護者の方とお話しする時間は、とても大切な時間です。
ただ、「この場面で自分が崩れてはいけない」という経験を、これまで何度もしてきたのだと思います。
トラブルが起きたとき。
保護者の方と真剣な話をするとき。
子どもが大きく崩れているとき。
スタッフに大切なことを伝えなければいけないとき。
そういう場面を、何度もくぐってきました。
修羅場の数だけ、人間は強くなります。
ただし、ここで大事なことがあります。
今の若者に、昔のような環境で仕事をしろとは言えません。
理不尽な叱責に耐えろとは言えません。
パワハラやモラハラを我慢しろとは言えません。
人格を否定されながら働けとは言えません。
それは教育ではありません。
それは暴力です。
昔はそうだったから、今もそうすればいい。
自分も苦労したのだから、若者も苦労すればいい。
そんなふうには思いません。
むしろ、それは絶対に違うと思います。
では、若者は修羅場を経験しなくていいのか。
僕は、そうではないと思います。
人が本当に成長するときには、やはりある程度の負荷が必要です。
緊張感のある場面。
自分で考えなければいけない場面。
逃げずに向き合わなければいけない場面。
失敗したあと、もう一度立て直す場面。
期限までに何とかやり切る場面。
そういう経験は、やはり人を鍛えます。
ただし、それは理不尽な暴力であってはいけません。
だからこそ、若者には「人工的な修羅場」が必要なのだと思います。
人工的な修羅場とは、危険な場所に放り込むことではありません。
安全は守られている。
人格は否定されない。
失敗しても、人生が終わるわけではない。
でも、本人にとっては真剣である。
そういう場面のことです。
たとえば、テスト前の本気の勉強。
「今回は本気で点を取りに行く」と決めて、計画を立て、問題を解き、直しをして、できない問題に何度も向き合う。これは、子どもにとって立派な修羅場です。
たとえば、発表の場。
人前で話すのは緊張します。間違えたらどうしようと思います。でも、その緊張の中で、自分の考えを言葉にする経験は、人を強くします。
たとえば、試合。
勝つこともあれば、負けることもあります。努力しても、思うような結果が出ないこともあります。でも、そこに本気で向き合った経験は、あとに残ります。
たとえば、検定や入試。
期限があります。結果も出ます。逃げたくなることもあります。それでも、そこに向かって努力する中で、人は成長します。
たとえば、できなかった問題に、もう一度向き合うこと。
これも小さな修羅場です。
間違えた問題を見るのは、あまり気持ちのいいことではありません。
自分のできなさを見なければいけないからです。
でも、そこから逃げずに、もう一度解き直す。
なぜ間違えたのかを考える。
次はできるようにする。
そういう経験が、学力を育てます。
塾という場所も、そういう場所でありたいと思っています。
ただ優しいだけの場所ではなく、ただ厳しいだけの場所でもない。
子どもたちが安心して挑戦できる場所。
少し背伸びをして、自分の限界に手を伸ばせる場所。
失敗しても、もう一度立て直せる場所。
本気になっても大丈夫な場所。
そういう「人工的な修羅場」を、きちんと用意できる塾でありたいと思います。
ウィンブルドンを見ながら、そんなことを考えていました。
そういえば、いま大坂なおみ選手が勝ちました。
おめでとうございます。
彼女にも、この数年、本当にいろいろな修羅場があったのだと思います。
ケガ。
プレッシャー。
注目。
批判。
復帰。
外から見ているだけでは分からない苦しさが、きっとたくさんあったはずです。
でも、そういう場所をくぐり抜けてきた選手は、やはり強い。
ウィンブルドンの制覇を願っています。
そして、知求塾の子どもたちにも、それぞれの場所で、自分なりの修羅場をくぐり抜けて、強くなってほしいと思います。
もちろん、その修羅場は、誰かに傷つけられる場所であってはいけません。
安心して挑戦できる場所。
本気になれる場所。
失敗しても戻ってこられる場所。
知求塾は、そういう場所でありたいと思います。

