知求塾

優れた塾講師は、いつか忘れ去られる

2026年7月16日 | chikyujyuku

優れた塾講師は、いつか忘れ去られる

こんにちは。

愛知県刈谷市にある総合学習塾・知求塾の坂口です。

今日は、私が考える「優れた塾講師の仕事」について書いてみたいと思います。

塾講師という仕事について考えるとき、私が今でも心に残している言葉があります。

2019年に放送されたドラマ『初めて恋をした日に読む話』の中に、

「講師は、忘れ去られるのが仕事」

という趣旨の言葉が出てきます。

私は、この言葉にとても強く共感しました。

生徒に覚えてもらうことが、講師の目的ではない

塾の先生という仕事をしていると、生徒から慕ってもらえることがあります。

「先生のおかげで成績が上がりました」

「先生に教えてもらってよかったです」

「ずっと先生に教えてほしいです」

そんな言葉をもらえれば、当然うれしいものです。

講師として、これほどありがたいことはありません。

しかし、講師の最終的な目的は、生徒からずっと必要とされ続けることではないと思っています。

本当に目指すべきなのは、生徒が一人で歩けるようになることです。

最初は、問題の解き方を教える。

勉強の進め方を教える。

時間の使い方を教える。

失敗したときの立て直し方を教える。

そうしたことを一つひとつ伝えていきます。

しかし、やがて生徒は、自分で考え、自分で判断し、自分で前に進めるようになります。

その頃には、

「これは先生に教えてもらったことだ」

と、いちいち思い出すこともなくなるでしょう。

それでよいのだと思います。

教わったことすら忘れるほど、身についている

人は、本当に身についたことを、誰に教わったかまで覚えていないことがあります。

例えば、自転車の乗り方を最初に誰からどんな言葉で教わったかを、すべて覚えている人は少ないでしょう。

字の書き方や、箸の持ち方、挨拶の仕方も同じです。

最初は誰かに教わっています。

しかし、身についた後は、それが自分の一部になります。

勉強の仕方も同じです。

ノートの取り方。

間違いの直し方。

問題文の読み方。

予定の立て方。

集中が切れたときの戻し方。

こうしたことが完全に自分のものになれば、教えてくれた先生の存在を思い出さなくても、自然にできるようになります。

むしろ、それこそが教育の成功なのかもしれません。

先生の存在が見えなくなるほど、生徒の中に学び方が根づいている。

私は、それが理想だと思っています。

塾講師は、生徒のための「踏み台」である

私は、塾講師という仕事を、生徒が次の段階へ進むための踏み台のようなものだと考えています。

少し言葉は悪いかもしれません。

玄関に敷いてあるマットのような存在、と言ってもよいでしょう。

多くの人に踏まれ、使われ、少しずつ汚れ、すり減っていく。

それでも、その人が次の場所へ進むために役に立つ。

塾講師の仕事には、そういう側面があります。

もちろん、講師自身も一人の人間ですから、雑に扱われてよいという意味ではありません。

自分を犠牲にし続けることが美しい、と言いたいわけでもありません。

ただ、仕事の主役は誰なのかということです。

塾の主役は、先生ではありません。

生徒です。

講師が注目されることや、人気者になることが目的ではありません。

生徒が前に進むために、自分の知識や経験や時間を使う。

その結果として、自分の存在が目立たなくなっていく。

それが、講師の仕事なのだと思います。

慕われることと、優れた講師であることは同じではない

生徒に好かれる先生は、よい先生である可能性があります。

しかし、生徒に好かれているからといって、必ずしも優れた講師とは限りません。

面白い話をしてくれる。

優しい言葉をかけてくれる。

生徒の希望を何でも聞いてくれる。

そうした先生は、生徒から慕われるかもしれません。

しかし、必要なことを教えず、厳しい現実も伝えず、生徒を自立させないままであれば、本当に生徒のためになっているとは言えません。

反対に、その場では少し厳しく感じられても、

「今のままではいけない」

「自分で考えなければならない」

「ここから先は、自分の責任で進む必要がある」

と伝える先生の方が、長い目で見れば生徒を成長させることもあります。

生徒から慕われることは、ありがたいことです。

しかし、それを講師自身の力や魅力だと思いすぎてはいけません。

生徒が集まると、人は勘違いしやすい

塾の先生は、ときに生徒から強い信頼を寄せられます。

生徒は毎週教室に通い、先生の話を聞き、悩みを相談します。

保護者の方からも、

「先生に任せます」

と言っていただくことがあります。

そうすると、講師は自分が特別な力を持っているように感じることがあります。

自分の言葉には力がある。

自分が子どもたちを変えている。

自分がいなければ、この塾は成り立たない。

そう思い始めると、危険です。

生徒が成長したのは、講師だけの力ではありません。

本人の努力があります。

家庭の支えがあります。

学校の先生や友人との関わりがあります。

長い時間の積み重ねがあります。

講師は、その中の一つのきっかけにすぎません。

そのことを忘れないようにしたいと思っています。

リーダーも、いつか必要とされなくなるべきである

これは、塾講師だけの話ではありません。

組織のリーダーにも、同じことが言えると思います。

優れたリーダーとは、自分がいなければ何もできない組織をつくる人ではありません。

自分がいなくても、次の世代が考え、判断し、運営できる組織をつくる人です。

自分がいつまでも中心にいなければならないとしたら、それは一見すると必要とされているようで、実際には後継者を育てられていない可能性があります。

リーダーの役割は、自分の地位を守ることではありません。

次の人が育つ環境をつくることです。

組織が老いるのは、トップが老いるからではない

長く同じ人がトップにいること自体が、必ず悪いわけではありません。

経験があるからこそ、できる判断もあります。

長期的な視点で組織を守れることもあります。

しかし、トップが自分の考えだけに固執し、次の世代に権限を渡さず、変化を拒むようになると、組織は少しずつ老いていきます。

問題は、年齢ではありません。

新しい考えを受け入れなくなること。

若い人の成長を脅威に感じること。

自分の役割を手放せなくなること。

これが、いわゆる「老害」と呼ばれる状態なのだと思います。

自分が長く組織に貢献したという自負が強いほど、

「まだ自分が必要だ」

「自分でなければできない」

と思いやすくなります。

しかし、本当によい組織をつくったのであれば、いつか自分がいなくても動くようになるはずです。

引き際は、自分で決める

人は、必要とされている間に辞めることが難しいものです。

周囲から求められれば、もう少し続けようと思います。

まだできることがある。

まだ自分の方がうまくできる。

次の人には任せられない。

そう考えているうちに、引き際を失ってしまいます。

しかし、いつまでも一人の人が中心に居続ければ、次の世代は成長する機会を失います。

失敗する機会も、判断する機会も、責任を負う機会も得られません。

だからこそ、リーダーには、自分で引き際を決める覚悟が必要なのだと思います。

誰かに追い出されるまで居座るのではなく、

「ここまでが自分の役割だった」

と判断したら、スパッと退く。

それも、組織に対する最後の責任です。

忘れられることは、寂しいことでもある

もちろん、忘れ去られることを理想として語っても、実際には少し寂しさがあります。

長く関わった生徒が卒業していく。

毎日のように話していた生徒と会わなくなる。

やがて、こちらのことを思い出す機会も減っていく。

講師という仕事には、そういう別れが何度もあります。

しかし、それは生徒が自分の人生を歩き始めたということでもあります。

いつまでも先生のそばにいる必要はありません。

先生を必要としなくなったことは、成長した証拠です。

だから、寂しくても、送り出さなければなりません。

生徒の人生の主役にならない

教育に携わる者が気をつけなければならないのは、生徒の人生の主役になろうとしないことだと思います。

先生の言う通りにすればよい。

先生が進路を決めてくれる。

先生がいなければ何もできない。

そんな状態をつくってしまえば、生徒は自立できません。

講師は、生徒の人生を代わりに生きることはできません。

できるのは、必要な知識を渡すこと。

考える材料を渡すこと。

失敗したときに立ち上がる方法を伝えること。

そして、最後には手を離すことです。

講師は、生徒の物語の主役ではありません。

生徒が次のページへ進むために、一時的に登場する脇役です。

それで十分です。

優れた講師とは何か

私が考える優れた講師とは、生徒を自分に依存させる人ではありません。

自分がいなくても、生徒が学べるようにする人です。

生徒からずっと感謝されることを求めるのではなく、感謝されなくても役割を果たす人です。

自分が目立つことよりも、生徒が前に進むことを喜べる人です。

そして、必要な役割を終えたら、静かに場所を譲れる人です。

いつか、生徒に忘れられる。

いつか、組織からも自分の影が薄くなる。

それは、失敗ではありません。

むしろ、自分が渡したものが、相手の中で本当に生き始めたということなのだと思います。

まとめ

講師の仕事は、生徒にずっと覚えてもらうことではありません。

生徒が自分で考え、自分で学び、自分の人生を歩けるようにすることです。

そのために、自分が踏み台になってもよい。

使われ、すり減り、役割を終えてもよい。

そして、いつか忘れ去られてもよい。

講師がいなくなった後も、生徒の中に学び方が残っている。

それが、教育という仕事の一つの理想なのだと思います。

優れた講師は、生徒を自分のもとにとどめる人ではありません。

自分の手を離れ、もっと遠くまで進んでいけるようにする人です。