知求塾

始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる

2024年2月3日 | chikyujyuku

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高校生の時に、塩野七生さんの書いた「ローマ人の物語」シリーズに夢中になっていた時期がありました。買うお金はなかったので、図書館にリクエストして買ってもらっていました(税金の有効活用です)。豊田南高校の図書室は結構使っていて、僕がリクエストした本が数10冊はあるはずです。いまもあるのでしょうか。。

 

タイトルですが、「始めたときは、それがどれほど善意から発したことであったとしても、時が経てば、そうではなくなる」

最初は良かれと思って始めた制度でも、時を経ると害悪になる、ということです。これは豊田南高校の図書館で学んだ非常に重要な教訓でした。ユリウスカエサルの名言です。

 

ぼくがこの件でよく思うのは、行き過ぎたフェミニズム論とかジェンダー論を振りかざす人ですね。こういう人で過激な論を張る人はとにかく「いかに男性が女性を搾取しているか」「男性社会の害悪」を熱心に語るのですが、ため息しか出ません。知性の不調というのは深刻な問題だと思います。

 

専業主婦と働き手の男性、というモデルも一時期までは「善意」「良いと思われる」システムだったはずです。その制度が時代に合わなくなってきただけの話です。だからこのシステムのこんなことがよかったよね、こういう風に役立ったね、と語り合い、ある意味での「供養」をすることで、「じゃあ、次を考えよう」となるのではないかと思います。でもそうなっていない。暴力的に言語で全否定です。これでは合意は難しい。

 

フェミニズム論も全く同じでして、フェミニズムやジェンダーについて問題意識を持つのは「善意で、有益な行為」だったのですが、やはりそれも時代とともに行き過ぎがあります。個人的には、ジェンダー論なんかも「供養」(みんなでその功績や思い出を語り合う)の段階だと思います。

 

知求塾は、従業員向けにはジェンダー平等というのを言っていません。それは当たり前すぎる不文律だからです。この小さな場所から、「論」ではなく「実践」と「成果」をもたらせるように、ごく当たり前のこととして、時間が流れています。

 

当塾は、「男女の平等性」に関してはそういう職場です。

いっしょに働きたいという方がいらっしゃいましたら、ぜひお気軽にお問合せしてください。よろしくお願いいたします。

 

 

 

 

 

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