知求塾ブログファンの皆様、こんにちは。
愛知県刈谷市、東刈谷より、総合学習塾『知求塾』代表の坂口です。
昨日の記事では、塾を「バーチャルな師弟関係の場」と捉え、
その中で権威が固定化することの危険性についてお話しました。
では、そうした前提に立ったとき、
師である自分はどうあるべきなのか。
最近、自分の中でしっくりきている考え方があります。
それが「玄関マット説」です。
少し変わった表現かもしれませんが、要するにこういうことです。
自分を踏み台にして、生徒やスタッフがどんどん「自分以上の存在になってほしい」ということです。
一般的に「師匠」という言葉には、どこか上に立ち続ける存在というニュアンスがあります。
しかし私は、それは本質ではないと考えています。
むしろ、師としての自分が「自分以上の弟子を作れなかった」としたら、それは恥ずかしいことではないかとすら思っています。
人類の歴史は、常に「乗り越えられること」によって進んできました。
親を超える子ども。
師を超える弟子。前の世代を超えていく次の世代。
その連続の中で、社会は少しずつ前に進んできたはずです。
その長い歴史の中で、たまたま今、私は47歳手前というタイミングで、碧海地区で塾を運営させていただいています。
これは本当に、たまたま与えられたポジションに過ぎません。
であれば、その役割は明確です。
次の世代を担う子どもたちに、自分以上の力を発揮してもらうこと。
そのための環境を整えること。
それが、私の仕事だと思っています。
そう考えると、師の役割というのは「上に立つこと」ではなく、
むしろ「支えること」にあるのではないでしょうか。
踏まれてもいい。
使われてもいい。
ただ、その上で誰かが前に進めるのであれば、それでいい。
だから「玄関マット」なのです。
そしてもう一つ、最近強く思うことがあります。
それは、師の価値は「どれだけ多くの弟子を持ったか」では測れない、ということです。
たった一人でいい。
その一人が、人生を前向きに、幸福に、そして上機嫌に生きていけるようになったとしたら、
それは十分に価値のある教育だったと言えるのではないかと思います。
知識を与えることも大切です。
成績を上げることも重要です。
しかし、それ以上に大切なのは、
その人が「どう生きていくか」を支えることではないでしょうか。
知求塾の社訓である「上機嫌・好奇心・親切」。
この3つを体現できる人間が、一人でも多く育っていくこと。
それこそが、私にとっての教育の成果であり、
そして師としての喜びなのだと思います。
これからも、踏み台としての自分を磨きながら、
次の世代がより高く跳べるような場所をつくっていきたいと思います。

